こんにちは、コピーライター/デザイナーのケイです。
ブランディングはビジネスの成長において超重要。 ブランディングに成功し、独自のポジションを確立しているプロダクトは、それだけでユーザーから選ばれ続ける状態が実現し、熾烈な競争からの脱却に繋がっています。
ですが、いざ取り組もうとすると、「それって認知だけの施策になってない?」という場面をよく見かけます。
マーケティングやブランディングに携わっている人からすれば、「ブランディングは認知だけの話ではない」というのは当たり前(であってほしい!)ですが、まだまだ「ブランディング」というと、「集客の話でしょ?」とか「露出度を上げてサービスを有名にすること」くらいに思う人が多いです。
もちろん間違いとまではいかないのですが、ブランディング=認知としか捉えないのは、けっこう損失です。 なぜなら、「認知」はブランドの持つ一側面に過ぎないからです。
認知はブランド価値の一つに過ぎない
『ブランド論』の著者として知られるデビッド・アーカーさんは、ブランドの価値は以下の4つから成り立っていると述べています。
- 名前の認知(認知度・有名度)
- ブランド連想(●●といったらこのブランド)
- 知覚品質(消費者が感じるそのブランドの品質)
- ブランド・ロイヤルティ(愛着度)
例えばAppleのブランド展開を見てみましょう。
ブランド認知
ブランド認知は、どれだけその商品の名前が売れているか。
iPhoneはスマートフォン界でも特に有名であることは疑いの余地がありません。 MacやiPadも高い知名度を持っています。
ブランド連想
ブランド連想とは、ポジティブな理由でプロダクトやサービスを連想することがどれくらいあるか。 「Appleの製品といえばデザインがオシャレ」「クリエイターと親和性が高いPCといえばmac」といったイメージは、確かに多くの人の中にあります。
今となってはアドビ製品がwindowsでもサクサク使えるし、windows機でもデザインが優れたものはあるというのに、デザイン性やクリエイティブ系アプリとの相性でmacを選ぶ人は多いですよね。
知覚品質
知覚品質とは、プロダクトやサービスを他社のものと比べた時に、「質感がいい」とか「使いやすい」というふうに知覚できる優位性のこと。 もう10年以上も前のことですが、はじめてiPhoneに触れたとき、操作性や画面のスクロールのなんともいえないリアルな滑らかさが、他の機種とは全く違っていたことがとても印象的でした。
ブランドロイヤルティ(愛着度)
ブランドロイヤルティは、お客さんがリピーターになりたいと思うほど、ブランドに対して愛着が湧いた様子を指します。 案の定、iPhoneは噂で聞いていたとおり使いやすかったので、ぼくのスマホはずっとiPhoneです(笑)。
PCに関しては、カスタマイズのしやすさと幼少期からの愛着でもっぱらwindows派ですが、ことスマホにおいてiPhoneへの愛着は非常に強固です。
iPhone13以降miniのラインナップが廃止されたのが片手持ち派のぼくにとっては非常に痛く、それこそ知覚品質がやや下がっているものの、次回の機種変でもまずはiPhoneを検討するだろうなと思います。
そんなAppleの事例を見ればわかるとおり、ブランド認知・ブランド連想・知覚品質・ブランドロイヤルティの4つが満たされてはじめて「ブランド価値が構築された」ことになります。 ブランディングを認知施策としてだけ捉えてしまうと、じゅうぶんな価値を発揮できません。
重要なのは4つが全て満たされること
ここで冒頭の話に戻ります。 ブランディングをただの認知施策ととらえ、広告露出ばかりに注力したらどうなるでしょうか?
新規ユーザーの獲得にはつながるかもしれません。 ですが、知覚品質が最低だったら、せっかく流入したお客さんは離れてしまいます。 そればかりかネガティブなイメージを持ってしまう可能性だってあります。
認知が進んでいるのであれば、こうしたネガティブイメージもよりクッキリと、多くのユーザーの心に刻まれるリスクがあります。
認知が進み、実際にサービスやプロダクトを利用したユーザーが知覚価値を感じてくれたら、愛着が沸き、リピーターになってくれるかもしれません。 LTV(ライフ・タイム・バリュー)が最大化されるだけでなく、「●●といえばクイックだよね」とブランド連想が浸透し、市場優位性を持つことに繋がるかもしれません。
アーカーさんの言葉を借りると、ブランドとは短期的な「戦術」ではなく、長期的に貢献し続ける「戦略」であり、「資産」なのです。
ブランディングをただの認知に終わらせないために
ブランド構築では、一貫性というものが重視されます。 それは、NIKEが1988年以降ずっと使用している「Just Do It 」というコピーのような、繰り返しの話だけではありません。金太郎アメのように、どこを切ってもそのブランドらしさを感じる状態。「●●はどこまでいっても●●だった」という、場所や角度を変えてもユーザーを裏切らない、普遍的な一貫性が重要になるのです。
先ほど例に挙げたAppleを見てみると、広告やサイトだけでなく、商品企画から開発からAppleストアの運営やあり方に至るまで…全て地続きでブランド戦略を張り巡らせているのがわかりますよね。「顧客からどう思われたいか」が明確な上、どこを切ってもAppleはAppleらしく振る舞っていて、一貫性のあるブランドパーソナリティを形成しています。
だからこそ、あらゆる場面で認知されたAppleというブランドイメージは裏切られることなく、より良いものに深められてゆき、多くの人を魅了しているのだと思います。
一貫性あるブランドパーソナリティを実現するためには、広告や集客といったごく一部の部門に閉じず、開発部門や現場、ありとあらゆる部署と連携・協力し、全体で設計していくことが不可欠です。
加えて、ブランドヴィジョンやブランドメッセージを考える作業とは、「我々は自分たちを何者と定義するのか」「顧客に何を約束できるのか」「社会に対して何を目指すのか」といった自問自答そのものです。 それらは、組織の価値観や目標・計画とは切っても切り離せませんから、どのみち一つの部門でどうにかできる話ではないのです。
ブランディングとは、“経営そのもの”なんだな
デビッド・アーカーさんのブランド論を読み返すと、いつもそんな気持ちにさせられます。 認知施策のような短期目線で終わらせず、組織全体がブランディングと向き合い、同じブランドパーソナリティを共有し合い、長期的に体現し続けることなくして、強いブランドは実現し得ないのではないでしょうか。
そういう目線で自分たちのプロダクトを眺めると、まだまだ課題が山積しているなぁ…と感じます。 認知施策が成功したとして、その後の使用感はどうだろう? ユーザーコミュニケーションはどこを切っても我々らしい状態を実現できているだろうか? そしてそれはユーザーにとって、良いパーソナリティだろうか? …考え始めるとキリがありません。
我々は事業会社。 開発や営業と一体になって思考し行動できる土壌がありますから、認知施策に閉じず、もっと様々な部門と言葉を交わし、皆でじっくりブランドを作っていかねば。 そんな風に思う今日この頃なのでした。